神林長平「小指の先の天使」

小指の先の天使 (ハヤカワ文庫JA)

小指の先の天使 (ハヤカワ文庫JA)

SF短編集。主たる設定は、脳だけを取り出し仮想現実に没入して生きる人々と、それらの人々を外側から見つめる人々との交流を描くものである。


サラリーマン時代、極端に忙しく書店に立ち寄る暇も無いときに、外出して会社に戻る帰り道に、どんな駅でも駅前の書店に立ち寄り、急いで一冊本を買うことが、唯一の息抜きであった時期があった。そんなとき、たいていの書店は僕の読みたい本を置いていてはくれず、本をじっくり選ぶ時間も無いので、買う本が見つからない場合は大抵神林長平氏の作品を買っていた。どこにでもあるし、そんなに外れない。本作はそれとはずいぶん違うシチュエーションで購入したものだが、久しぶりに読んでそのころの清々しい絶望感がよみがえり懐かしかった。


内容的には、日本人作家の書くSFの悪い見本のようでこれも興味深い。まず、自分が作り上げた世界の設定に対する、分析的な議論を延々とするはなし「なんと清浄な街」は端的につまらない。この手の議論を読んでいると、この作家は一体このような構成を最初から考えていたのか、それとも書いていると途中に勢いでこのような思考に陥ったのか不思議になってしまう。どちらにしても、あんまり楽しめないのだが。他の作品も、踏み込みが甘く楽しめない。仮想現実的な世界の話ならば、どうしてもディック的な、現実のありどころが誰にも分からなくなってしまうような物語を想像してしまうのだが、そのような現実感を揺さぶるような展開はこの作家にはあんまり、少なくともあからさまにはあらわれず、設定の世界から物語が飛び出してしまうことはない。全体的にトーンもおとなしく、普通に楽しめはするのだが、なにか、それ以上の手応えは感じられない。せっかく読むのなら、目が回るような非現実感を感じたいのだが。ディックやルーディ・ラッカーを読んでしまうと、もうこの世界に満足はできなくなってしまう。でも、当然のように一定以上の水準を保っていることも確かなので、なんとも心苦しいというか、贅沢すぎるかと思ってしまうことも確かなのではあるが。