高橋源一郎「君が代は千代に八千代に」

君が代は千代に八千代に (文春文庫)

君が代は千代に八千代に (文春文庫)

キワモノAV女優の母が出演する嘔吐物を食べさせあうビデオを友人と見ていた少年がたまらず友人と嘔吐し合ったあとの片づけを黙々とする男は出所したばかりで革命のことを考えているはなし「Mama told me」、娘を見ていると「近親相姦」という単語が浮かんでしまいその思いを断ち切るためには卑猥な妄想を考え続けなくてはいけないと気づいた男のはなし「Papa I love you」、ダッチワイフに発情する小学校教諭の見た悲劇「ヨウコ」、レーニン毛沢東最後の審判を目撃したタクシードライバー君が代は千代に八千代に」など、短編13編を収録。


うん、やはりこの人は「小説を書くより小説のことを書く」ほうが上手だと思う。本作は、行きすぎた趣味の良さは、見方によっては悪趣味に転倒するという良い事例で、しかも「小説教室」を読んで高橋氏が極めて洗練された趣味の良さを持っているということを知らなければ、単に悪趣味な小説と読み分けすることは難しい。文章もねー。素晴らしいと言うほどには素晴らしくないし、あんまり切れも鋭さも感じられない。こういった、破綻してゆく物語というのは、その物語のタガというか、物語を物語たらしめている境界線がぼんやりしてしまうところがあって、緊張感が薄れてしまうというか、作者の自己満足の世界が広がってしまっている様な気がする。


だいたい背表紙の紹介からして嫌な予感がしたんだ。「小説がここまで辿り着けるのか!ポストモダンを突き抜けた過激さで危ないテーマを軽く、ポップにこなして、新しい小説世界の扉を開く問題作13編。」苦手なことばが勢揃いだもんなあ。何となく思い出すのは、小林恭二氏がある時期いわゆる「ポストモダン」的な世界にのめり込み、僕からすれば遠くに行ってしまったなあと思わざるを得ない作品を書いていた時期に、彼の小説を評して言われたことばである。でも、やはり「新しい」ものや「過激」と謳われるものに、新しさや過激さを見出すことはわりかし少ない。むしろ、構築された手法の中で、その世界を内側から突き崩してゆくような語りにこそ、新しさや過激さがある気がするのだが。小林氏の「カブキの日」を読んだときに、そう強く感じたことを思い出した。