シオドア・スタージョン「夢みる宝石」

夢みる宝石 (ハヤカワ文庫SF)

夢みる宝石 (ハヤカワ文庫SF)

世の中のあちらこちらには思考を持ち夢を見る「水晶」があり、その「水晶」たちはふとした弾みで生物を作り出したり生物の内部に入り込んだりする。そして何かが間違うと異形の生物を作り出してしまうのだが、その「水晶」に魅入られた元医師は、異形のものを集めたカーニバルを作り全国を巡回している。そこへ、たまたま幼児虐待にあった男の子が紛れ込むのだが、実は彼にはとんでもない能力がある。カーニバル主催者の元医師は嗜虐性と征服欲の強い性格破綻者で、彼の能力を知ったとたんにあれやこれやの策略をめぐらせ彼を服従させようとする。


これはタイトルと表紙が素敵だったので買ったもの。シオドア・スタージョンは、以前河出書房から出ている「輝く断片」を読んだのだがあまりピンと来なかった覚えがある。これは、最初の数ページを読んでいたら主人公の男の子があまりにも理不尽な理由で家から追い出されるところに魅力を感じ読んでみた。内容的にはある種の超能力をテーマとした壮大な話だが、物語の伏線として男の子の育ての親(男の子は養子として育てられた)のセクハラまがいの極めてスケールの小さい話が織り込まれなかなか興味深い。このちぐはぐとした物語の構成が示すとおり、全体としてどことなく均整の取れない、どこか違和感のようなものが感じられる不思議な雰囲気があった。


登場人物も、いわゆる「奇形(フリークス)」がほとんどを占め、よく考えると相当に大胆な話である。面白かったのかと言えば、充分に楽しめたのだが、深く深くのめり込むと言うほどではありませんでした。描写や表現がいちいち丁寧でまわりくどく、子ども向けに書かれた物語のような感じがあり、物語全体の構成もある種の寓話性を感じさせるのだが、一方で登場人物の描写や起こる出来事のいちいちは極めてグロテスクでもあり、なんとも不思議な感覚としか言いようのない気分になってしまった。どうも、「物語」という壁が厚すぎて、その中に入り込めないような感じがあるんだよなあ。これは1950年代や1960年代の翻訳ものを読むときに良く感じることなので、むしろ時代性や翻訳の問題なのかもしれないが。