松尾由美「銀杏坂」

銀杏坂 (光文社文庫)

銀杏坂 (光文社文庫)

誰も外部から入ることができなかったアパートの一室で高価なブローチが盗まれる。どう考えても状況は内部犯なのだが、一つだけ状況をややこしくしたことがあった。そこにはオーナーの娘で、数年前に交通事故で亡くなった女性が、たびたび幽霊となって現れるということだった。この極めて理解不能な状況に対応せざるを得なくなった刑事はその事件を無事解決に導くのだが、その結果、彼の元には、未来を予言できる能力のある女性の悩みや、幽体離脱する男性を弟にもった姉のトラブルや、超能力でものを動かせる少年にまつわる事件など、極めて異常な状況の捜査が持ち込まれることになってしまう。


これは貸した本が返ってきたときに読んでしまったもの。松尾由美という作家は、高橋源一郎氏のことばを借りれば、世界をまったくちがう見方で見ることができる作家だと思う。これはある種典型的なミステリーの形式をとりながら、幽霊や超能力といった多少異常な設定が導入される。それだけならば同じような試みをしていて、しかも素晴らしい作品を書いている他の例もあるのだが、この作家の物凄いところは、その設定からさらに一歩踏みだし、わざわざ構築した世界を土台から揺さぶり、あやうくひっくり返してしまいそうになるまで世界を展開させてしまうところだと思う。その意味で、最後のはなし、山上記は圧巻でした。この、予定調和の世界に居心地良く浸っていたところを、突然不安と不思議な感覚に溢れた世界に連れ込んでしまう文章と物語の力強さには、始めは釈然としない気分もあるのだが、最後にはむしろ心地よい感覚に襲われてしまう爽快感がありました。あの脅威の傑作「スパイク」も、また読んでみなくては。本当に松尾氏は素敵な小説を書くなあ。