目取真俊「水滴」

水滴 (文春文庫)

水滴 (文春文庫)

三編の中編収録。以下、順に概略。突然片足がふくれあがり、自発的な会話ができなくなった老人(男性)は、その足から水滴がしたたり落ちていろ事に気づく。妻が看病をしている一方で、夜になるとその足から滴る水滴を飲みに、沖縄戦で死んでいった兵隊たちが男の足下に列を作る。一方、妻が畑仕事をしている間看病を任された親戚の男は、その滴る水を頭に塗れば毛が生え、飲めば性欲がよみがえることに気づき、法外な値段でその水を売り始める(水滴)。沖縄の鳥葬場として使われていた崖に続く階段が戦争で破壊されたが、そこに残された頭蓋骨を通り抜ける風は音を立て、村では神聖なるものとして扱われている。その風切り音を取材しに来た元特攻隊の男と、その頭蓋骨をそこにおいた村の男と、肝試しでその頭蓋骨まで崖を登ることになった男の子のはなし(風音)。沖縄の新聞の書評欄に繰り広げられる書評には、ユタ文化の再興を叫ぶ男や、皇太子に沖縄から嫁を出そうと策動する男や、天王星からの使者が沖縄にやってきたと主張する男の書評が掲載される。その書評の形式を借りて、それらの主張が繰り広げる大騒動を描いたはなし(オキナワン・ブック・レヴュー)。


つい最近読んだ本だが、文庫で再版されていたので再読。やはり良い。「水滴」が芥川賞受賞作だが、むしろ「風音」の方が好きだし、もっと好きなのは「オキナワン・ブック・レヴュー」。後者はこの作者にしてはめずらしく極めてコミカルでテンションの高い作品だが、やはり何度読んでも面白い。書評の形を借りながら、沖縄における思想的な闘争を描き、その首謀者である一人はある時点で投獄され、その獄中記までレビューされたかと思うと、そのレビューアーが夢やぶれた末精神病院に入院したあげく自分が神であるとの結論に達したところまでレビューされる。はなしも素敵なのだが、とにかく語り口の饒舌さとおかしさ、そしてその背後に漂うあきらめと絶望感のないまぜになったなんともいえない口調が、しみじみ楽しい。文字を読むこと、文章を読むことの楽しさを感じさせられる。


「風音」も傑作。沖縄戦で殺された兵士の亡骸から万年筆を盗み取った事を気に病む父、その顛末を知らず風葬の場で頭蓋骨に遭遇する子、そして取材に来た特攻隊の一員であった過去を持つテレビ局の男が織りなす物語のすがすがしさは、なんだかよく分からないがとても気持ちがよい。沖縄本島には行ったことがないが、これを読んでは行かずにはいられない。「水滴」もとても良くできた小説でした。この人の良いところは、「シャーマニズム」や「沖縄文化」を、そのようなものとしてある種「異化」して語ってしまうのではなく、理解できることを、伝わることばで書けることなのだと思う。ここには「沖縄」を外側から「オリエンタリズム」的に語ることばや、沖縄の特殊性を特権のように語ることばは存在しない。気がつくと「沖縄」を内側から、語っていることばに向き合わされている。それが心地よい。また、お話が暗くないところも良い。特に「水滴」での、トリックスター的な親戚の男の顛末が素敵。アコギな商売がはたんして皆に袋だたきにされ、折れた両手が使えないのでストローで泡盛をすする最後の場面など、とても良い。小説って力強いものだと、改めて思う。