白石玄「野ブタ。をプロデュース」

野ブタ。をプロデュース

野ブタ。をプロデュース

まずはじめに、このブログは何より自分が読んだ本の記録のためのものである。それは、増え続ける本と、限られた本棚並びに本棚の天板から天井までのスペースにより、売却を余儀なくされる本たちを少しでも覚えていたい、と思ったことがきっかけである。また同時に、このブログは、その本が素敵かと聞かれたときに、すぐに思い出せるための記録でもある。またまた同時に、それはその本を読んだときの感覚を殴り書きのように書き付けておく、覚え書きとしての用もある。というわけで、多少感想が乱暴・粗雑・批判調になってしまうこともあるが、それは決して他意のあることではなく、読み終わった瞬間の感想を書き連ねたという以外の何物でもない。


さて、この本は僕の「感想が知りたい」という人から借りて読んだ。途中でやめようかとも思ったが、読み通すのに1時間程度しかかからなかったので読み終えてしまった。まず、文章が稚拙。というか、某所で「(笑)のない掲示板」という「(笑)」禁止の掲示板をみたことがあったが、少なくとも書き言葉に対する神経のある人であれば「(笑)」のような表現を使うことはあり得ないのではないか。これだけで本を閉じたくなる。物語も残念ながらばかばかしい。


いじめられっ子を「プロデュース」して人気者にさせるという流れだが、途中でその対象のいじめられっ子、サディスティックでもあり同性愛的でもあるともいえる微妙な関係が感じられて不気味(決して同性愛が不気味という意味ではありません。念のため。この描き方がぼくには受け入れられない、という意味です)。主人公の人物造形も、最近この手の独り言系の造形をよく見るが、あまりにも底が浅いというか、共感も理解もできず、そもそも理解するだけの内容がある思考を行っているのかすら疑問。物語の展開も予想の範囲内。もう少し殺伐として終わる展開も予想したが、さすがにそこまでは行かなかったか。いったいこれをおもしろいと感じる人が、どのようなことに共振し、共感したのかということを考える方がおもしろい。この他人とのつながりがないと自称し、「本当の自分」を隠し「着ぐるみショー」を送る主人公に共感するのだろうか。