森達也「放送禁止歌」

放送禁止歌 (知恵の森文庫)

放送禁止歌 (知恵の森文庫)

「手紙」、「イムジン河」、「悲惨な戦い」、「ヨイトマケの唄」などの歌がなぜ「放送禁止歌」のなったのかを探ることから始まり、そのそれぞれの具体的背景を明らかにする中で、デーブ・スペクターとの対話を通じ日本とアメリカの状況の差に目を転じ、最終的には部落差別問題にいきつく一連の思考とドキュメンタリー作成の過程をつづったもの。


森達也の書く文章は、ドキュメンタリー作成の手順に沿って出来事が基本的にはつづられてゆくため、その過程での紆余曲折や方向転換が素直に反映される。そのため、本書でも最終的な着地点が部落差別になったのは非常に驚いたのだが、これはおそらく著者もある程度驚いたことなのではないかと感じた。そもそも「放送禁止歌」のメカニズムを民放連に求めた著者は、いまや何の根拠も規制も民放連が持たないことに気づかされる。その驚きは、無批判、無根拠にある特定のものを排除してゆく、テレビ制作者や局の停止した思考への批判と変化してゆくのだが、それは同時に自分自身のあり方を批判的に見つめることにつながってゆく。


そのなかで、アメリカでのマスコミの意識のあり方と日本のそれとの差をデーブ・スペクターに指摘された筆者は、「竹田の子守唄」を手がかりに、最も大きな問題があると言われる部落差別問題の現場へと取材に赴く。オウムだろうがエスパーだろうが、なにがあろうと森達也の主張は明確である。思考を停止させてはいけない、知ろうと努力しなくてはいけない、見ることをやめてはいけない。ともすれば極めて楽観的に響く森の主張ではあるが、このような具体的な試みの前では、ある種の希望が見いだせることもまた確かである。相変わらず負け犬的な文章も素敵、適度に感傷的でなかなか泣ける本でした。