J. G. バラード「ウォー・フィーバー」

ウォー・フィーバー―戦争熱

ウォー・フィーバー―戦争熱

終わり無きレバノンでの戦争が、天然痘のように国連によってその存在を管理されたものであったことが明らかになる表題作を始め、天皇の臨終の時のようなアメリカ大統領の健康状態の報道がメディアを埋めつくす中で、4分間第3次世界大戦が行われていたというはなし、汚染された破棄物によってある島の生態系がある種の天国のような異常な変化をとげるはなし、大統領の暗殺を試みたとして精神病院に幽閉された男が脱獄、追いかける内務省の役人が、なぜかその男のテロリズムに手を貸すはなし、エイズが蔓延し徴兵制のような義務的性交渉が行われる時代の愛のありかたを悲劇的に書いたはなし、未確認宇宙ステーションを探索するうちに、世界がその中に包含されることに気づくはなし、表題と、その表題のすべての単語につけられた脚注からなるはなし、失われた小説の索引のみからなるはなしなど、先鋭的で切れのある短編からなる短編集。


1975年から1990年にかけて発表された小説群からなる。あいかわらず切れがあり、文書に無駄が無く美しい。この短編集に収められている小説は、あまりバラード独自の世界と言うよりは、間口が広いというか、あまり癖がない作品が多く読みやすい。しかし、その一方で物語の切れ味というか、視線の角度は極めて鋭いものがある。4分間行われた第3次世界大戦のはなしは、レーガン大統領が三選をはたし、彼の肉体が衰えてゆく中で、その肉体の脈拍やら心電図やら、いつ排便を下かなどが事細かに報道される中で、アラバマ州の大吹雪のニュースの後にさりげなく現在米ソが戦争中であると伝えられたりする世界を描いたもので、なんとも皮肉な筆致の中に、昭和天皇が死んだときの報道を思い出して不思議とぞっとした。


精神病院を逃げ出した男を内務省の役人が追いかけるはなしでは、その追跡劇をつぶさに観察するうちに、その役人が逃げ出した男のテロリズムに手を貸しているという不思議な構図が展開され、表題につけられた脚注からなる「精神錯乱にいたるまでのノート」では、その手法の前衛さとは異なり、物語はしっかりと語られているのだが、一体何が本当で何が本当でないのか、読み終えても全く分からない。それでも面白い。バラードというと、熱帯や廃墟、退廃のイメージが強いのだが、本短編集は構成は多少前衛的ではあるが物語自体は極めて「普通」で読みやすい。しかし、その「普通さ」がバラードにかかると全く普通で無くなってしまう。この、足下が揺らいでゆくような不気味な違和感が、とてもとても楽しい。