本田由紀、内藤朝雄、後藤和智「「ニート」って言うな!」

「ニート」って言うな! (光文社新書)

「ニート」って言うな! (光文社新書)

巷に氾濫する「ニート言説」がいかに的はずれで不明確なものであり、またその「ニート言説」をまき散らすことによってどのような悪害があるのか、それぞれ東大助教授、明治大学専任講師、東北大学建築学科在籍の三人の論者が論ずる。本田氏は「ニート言説」の不確かさについて、内藤氏は若者が理不尽に憎悪の対象となっていると言うことについて、後藤氏はメディアや出版物に現れる「ニート言説」とその使われ方について検証する。


大学院修士課程まで修了しサラリーマンをすること2年半、ゆえあって学業の道に戻り、明日はそこそこ明るいが2年後はまるでブラックホールのように暗闇に包まれている自分としては、この本のタイトルを見たときに、なにか「ニート」と呼ばれている人が発生するメカニズムを、「ニート」当事者ではなく社会の有り様から批判し、よって当事者たちを「ニート」と呼ぶことに、社会の免罪符的な動きを認め警鐘を鳴らすのような言説が展開されているのではないかと勝手に夢想し手に取った。しかし、内容はひどいものであった。


全体の趣旨としては、「ニート」と呼ばれている人々はそもそもの定義からして不明確であり、かつそれが社会の弱者いじめのような様相を呈したときに、本当に批判されるべき企業の就労施策は全く顧みられず、本人や家族が根拠無く虐げられ、その「対策」として行われようとしている事々はまるで徴兵制度を彷彿とさせるものであり、それにマスコミは迎合することで危険な風潮をあおっているというもの。それはもっともであり、納得もするが、それだけのことを言うのに三人で1冊の本を書くこともない。ある種マスコミ批判的な論調もあるが、その自分と異なった意見を全く許さない態度というのは、まさにこの本の記述の中に横溢するものであり、なにかこのような思考を乗り越えるすべは無いのかとむしろ考えさせられる。


また、主張の根拠という事が幾たびか問題にさせられるが、本書の著者たちの根拠も不思議である。「私は今こそ、高等専門学科の再評価と復権が必要だと考えています。いっそ、すべての普通科が、何らかの専門領域の名称を冠した専門学科に改変されてほしいとすら考えています。」「われわれは長らく、正社員として人格を明け渡して「社蓄」状態で安定するか、「フリーター」として貧困で不安定な生活をするかという二者択一を迫られてきました。」ほんとう?また全般として記述が口汚いというか、品がない。そもそも本書のタイトルがしめす幼児的な言葉遣いからも推して知るべしではあったのだが、特に2章においては、始めの静かな語り口がだんだんと激高したかのような雰囲気に盛り上がり、最後には「実をいうと、ニートごときくだらない流行イメージ商品(そしてニートで有名になったくだらないデマゴーグたち)を話題にすること自体くだらない、という思いもあります」などと語り出す。だったら話題にしなければいいのに。。


とにかく、なにか議論とは全く異なった、誰かに対する「怒り」もしくは「憎悪」が文脈から感じられてしまい、ちょっとおそろしい。ある程度批判したならば、それでいいではないか。むしろ、自分の理解と知識の上に、問題点を明らかにして、その問題に自分の目と足で切り込んでいってくれればよかったのに。本書では、基本的に労働の問題が現実の例を挙げられて語られることが極めて少ない。なにか問題意識があるならば、現場に行って、問題を具体的に整理し、幅広い人が理解可能なことばに翻訳するのが、研究者の仕事ではないか。こんな内輪のケンカをしている暇があれば、少しでも現場で助けてくれ!と叫んでいる「サラリーマン」の声を聞いてきた方が良いのではないかなあ。僕がよく見る介護や福祉の現場、そして前の職場でよく見た派遣や契約の人たちの、壮絶な報われない努力と絶望を、これぐらいの力で書き上げてくれれば、ずいぶんみんなの暮らしが良くなるように思うのだが。