浅暮三文「石の中の蜘蛛」

石の中の蜘蛛 (集英社文庫)

石の中の蜘蛛 (集英社文庫)

引っ越し直後に当て逃げされた男が、その当て逃げの理由が引っ越し先の元の住人で失踪した女性にあるのではないかと推測、一方で当て逃げの後遺症か男の聴覚は異常に発達し、音が視覚的なイメージをもって感じられるようになるまでなる。この異常な聴覚をもとに、失踪した女性とその失踪と当て逃げの理由を探すはなし。


集英社文庫の新刊案内に、この本の解説を山田正紀氏が書かれているのを見て購入してみた。文章は多少硬く、雰囲気も静かで基本的には質が高い。言葉遣いも無駄が無く、温度の低い淡々とした展開。話自体は、男の聴覚が異常に発達してくる頃から偏執的に音の描写が多くなり、多少間延びする。というか、音に異常執着した極めてマニアックな世界の記述が、ぼくにはあんまり面白いとは感じられなかった。男が失踪した女性に執着する理由もあまり分からず、具合が悪いならそんなに出歩かずに家で寝てればよいのになどと思いながら読み進むと、最後には男は見つけ出した女性に斬りつけられたりしてしまう。このあたりはむしろなんだか皮肉な展開だが腑に落ちる。全体的には良くできていると思うのだがそれほど面白くない、そんなことを考えながら読み終わり、山田正紀氏の解説を読んでみたら、なるほどなあと納得した。


山田氏は言う。これは「苦い、苦いハードボイルド論」であると。さらに言う。ある女流作家に言わせれば、「男のハーレクイン・ロマン」であると。「ハードボイルドの主人公たちはリアルに女を見ようとしない。当然、幻想に裏切られることにならざるをえないのだがーじつは男は裏切られなどいないのだ。ハードボイルドの男たちは傷つけられるのを巧妙に回避してつねに無傷で生き残ることになる。」「彼らは、生身の女をリアルに見せられるよりは、裏切られて、苦い失望を抱いて街をさすらうことを選ぶ…だからこそハードボイルドは「男尾ハーレクイン・ロマン」であるわけなのだろう。」これを読んで、本書を読みながら感じていた違和感が言語化できた。


この「ハードボイルド」的な物語がやはり納得できないところでもあり、それを「音」という視点がわかりづらく、もしくは物語を拡散させているため、なんとも掴みづらく感じていたのだろう。この「ハードボイルド」的な、強烈な自己愛と自己中心性、かつ他者に対する何となくの差別的な視点、特に失踪した女性に対する身勝手で妄想的な描写が、一番の違和感を感じていたところでもあった。しかし、それでも物語が最終的に腑に落ちるのは、このような構造を作者が意識した上で、かなり批評的に物語を構成しているからか。いずれにしても、ちょっとややこしい。やっぱり「ハードボイルド」って読んでいて馬鹿馬鹿しくなってしまう。浅暮氏の作品では、「殺しも鯖もMで始まる」とか、「ラストホープ」みたいな作品の方が好きだなあ。