森博嗣「レタス・フライ」

レタス・フライ (講談社ノベルス)

レタス・フライ (講談社ノベルス)

東南アジアのどこかで不可解な事件に遭遇する警察関係者のはなし、田舎の孤島の診療所にまつわる怪異を解き明かすはなし、その他短編が集められたもの。


数ある本の中から一つを手に取り購入、ある程度の時間をかけて読み通すということは、それなりに特別なことである。それゆえ、嫌いな本や上質とは思えない本を手に取ることはないし、そのような本の記録をここに書くこともない(たまに買っては見たものの、あまりのひどさに途中でやめてしまう本もあるが)。それ以上に、そもそも僕は創作という行為には憧れにも通じる敬意を持ち、決して悪口をかいたり、貶したりしようとは思わない。もし、ここに書かれていることが批判めいたことであったとしても、それはむしろ今回は調子が悪くて残念だなあという程度の気持ちの表れだと思ってもらいたい。


と前置きをして書くが、森氏の小説は一時期は全て読んでいたのだが、ある時期から物語のほころびとなげやりさが、洗練された文章とスタイルにまさって気につくようになってしまい、最近はあまり楽しめたことがない。久しぶりに買ってみたこの短編集にも、残念ながらそのような感想を感じてしまった。まず、最初のはなしはなんなのだ。これはシリーズの登場人物を知らないとほとんど楽しめない作りになってはいないか。そのもっと悪い例が最後のはなし。これも同様な構成で、シリーズのキャラクターを憶えていないとおそらく訳が分からない。僕は憶えていなかったので訳が分からなかった。しかも、話自体もとてもつまらない。


そのような興醒めしてしまう雰囲気のなかで、「カレンダ」「ファクタ」「メジャ」などの語尾をなぜか延ばさないカタカナたちが僕をいらつかせる。「リーダ」「ヘリコプタ」まで徹底するのならば、「ブルー」や「コーヒー」はそのままで良いのか。ただでさえ物語にのめり込みづらいのに、いちいちこんなところで躓かされ、違和感がとまらない。そもそも、講談社ノベルスのくせしてなぜ二段組みではないのか。もうこれは被害妄想の域かもしれないが、普段より少ない文字数に普段通りの値付けがされているようで、腹立たしい。この人は、習作めいた危なっかしい雰囲気が良いと思うのだが、今回はほんとうに習作を読まされた気分。なんだか緊張感が感じられないのだが。