萩原浩「コールドゲーム」

コールドゲーム (新潮文庫)

コールドゲーム (新潮文庫)

陰惨ないじめにあった少年が、自分をいじめた人たちに復讐をしていくのを、いじめもしなかったが何も手を打たなかった同級生が阻止しようとする話。


うーん、文章も流麗、構成も上質、物語の流れも最高、どこをとっても一流の作家の一流の作品。でも、これでいいのか。あんまり悪口は書きたくないのだが、ちょっとこれは、どう理解して良いのか分からない。まず、あまりにも物語自体がそっけないというか、乱暴というか、心の置き所が見つからない。どう読んでも陰惨ないじめにあって復讐を行っている少年に同情し、感情移入すると思うし、むしろその視点で物語を眺めていた方が奥行きも物語のねばり強さも深くなったのでは無いかと思うのだが、作者はあっけらかんとした爽やかな少年たちの友情の物語に回収してしまう。これは、たまらない。しかも、それは一体正しいのだろうか。


意地悪な読み方をすれば、物語の筋(いじめられっ子の復讐劇)と物語の構成(爽やか青春小説)が別々にあって、なんとか合体させようと思ったら思わずグロテスクなものができてしまった、という様にも感じられる。しかも、途中で物語は中だるみしてゆき、新たな出来事も無く淡々と暴力事件が起きてゆく。あんまり考えることも無いので展開を予測しながら読んでいたら、ほとんど予測通り。これは、ちょっとがっかりというか、残念というか。ここまで書いていたら興が乗ってきてしまったのでどんどんかくと、後書きでは最高の技術と褒め称えられているこの作家の文章だが、ちょっと首をひねるところもある。例えば、地の文の人称が、そこで使われている表現と一致していない。地の文では「光也は」と三人称表現だが、同じセンテンスで「うちの母親より」などと二人称的な表現が使われている。こんな単純な人称の不一致を、なぜ編集者は見逃した、もしくはそのままにしているのか。理解に苦しむ。