森達也「「A] マスコミが報道しなかったオウムの素顔」



地下鉄サリン事件以後のオウムの姿を、広報部長を通じて接触を持った筆者が記録し、ドキュメンタリーにまとめてゆく様をドキュメントしたもの。

昨年一年で最も衝撃的であった本、そして作者の一人にはまちがいなくこの森氏が入るのだが、今回の「A」にもまたまた衝撃を受けてしまった。この本で繰り返される最も重要な主張は一つ、おそらく「思考停止に陥ってはいけない」ということだ。その実例を、オウムの例を持って森氏は淡々と語ってゆく。僕はいつも不思議でならなかったのだが、オウム事件などを語る際にマスコミ等が言う台詞に「未だ事件がなぜ起こったのか、その動機は明らかになっておりません」というものがある。しかし、これは意味不明な声明では無いのだろうか。その動機や理由は、どの線をもって明らかにされたというのか。その「明らかになった」レベルに対しての意識は、本当に持たれているのだろうか。本書を読んである程度納得したのは、森氏はオウムが存在した理由について、以下の様な説明を試みているからだ。曰く、「オウムはオウム以外の世界によっても成り立たされている」。これが意味するところはなにか。地下鉄サリン事件以後の徹底したオウム信者に対する人権弾圧が、むしろオウムを内部から強固に結束させる力となり、その信仰を強める力となっていると言うことなのである。これは地下鉄サリン事件以後のオウムについてしか成立しないことはもちろんだが、しかし、このような「狂気の」教団の内部から外側を見たとき、果たして底は「正気」の世界なのだろうか。おそらくそうではない。「狂気」と「正気」は対なのではなく、「狂気」が「狂気」を呼ぶのだ。そのためにも、僕たちはつねに「正気」を見つめようとしなければならない。自分の語っていることばを、よく考えてみなければいけない。「動機は明らかになっておりません」なんて、簡単に言えるわけが無いのだ。まさに、「思考停止」に陥ってはいけないのだ。そんなことを考えた。