伊坂幸太郎「砂漠」



5人の男女を中心に、大学に入学してから卒業するまでの様々な出来事を描いたもの。

妙に物事に対して鳥瞰的な態度をとってしまう「僕」、軽薄で調子の良い男性の鳥井、鳥井の幼なじみで大学で鳥井に再会した静かで引っ込み思案の女性である南、極めて美形ながら愛想が無く男の子と「つきあわない」東堂、大げさでへりくつばかりを振り回しどうでも良いことを世界の危機と結びつけ人々の顰蹙を買いながらも本人は至って真剣でまじめな男性の西嶋という、極めて造形に深みのない、典型的な主人公たちの物語。この時点で何となく読む気が失せる。実際、最初の1章は読み通すのがつらく、なんどもやめようかと思った。物語がどうでもよいことに終始し、しかもありきたりでどこかで読んだような展開、切れ味が無い。しかし、読み進むうちに物語に事件が勃発し、それなりに緊張感が出てくる。ところがその緊張感も長続きせず、ほとんど長編小説としての構築は感じさせることなく、淡々と物語は進展し終わる。色々なエピソードが挟み込まれるが、あまり心に響いては来ない。特に中盤の超能力者のエピソードは不愉快で、これが何らかの爽快感を与えるために書かれているとはとても思えないのだが、では何のために書かれたのかは不明。感動する点も理由もないが、ただ筋を追うためだけならば充分に楽しめる。こういう小説を「キャラが立った」小説というのだろうか。どうでも良いが。ただ、一つ本格的に気になるのが、この小説の全体的な構成が奥泉光の「暴力の舟」にどことなく近いものを感じさせる点だ。虚無的な学生、そのなかで一心に自分の思うところを貫こうとする一人の学生、それに寄り添ってゆく絶世の美女。しかし、この小説と「暴力の舟」には決定的な違いがある。奥泉に感じられた徹底した緊張感と思考の深み、そして世界のよりよきあり方への祈りは、ここにはみじんもない。まあ、それを書こうと思ってはいないのだろうが。しかし、キャラクターが筋を演じるだけならば、小説家はシナリオライターで良いのである。むしろ、骨太でことばひとつひとつが響いてくるような小説を読みたいものだ。