柳広司「吾輩はシャーロック・ホームズである」



ロンドン留学中の漱石が錯乱、自分をシャーロック・ホームズだと思いこみ、べーカー街のホームズ邸に「帰宅」する。丁度そのときホームズは長期旅行中、ワトスンはホームズの依頼もあり、渋々奇矯な日本人の妄想におつきあい。そんな中、降霊会での殺人に漱石とワトスンが遭遇し、ロンドン塔では魔女が出没し、アフリカでの二重スパイ、ボーア戦争の賛否、イギリスでのアイルランド人蔑視などの問題が勃発してゆく。

多少特殊、しかし最近の作家ではやはり最も先鋭的でしかも質の高い、つまりとても素敵な作品を書き続ける柳広司氏の新作。これもまた、トリッキーで凝った作品。漱石がロンドン留学中に精神的に不安定になったのはよく知られた話だが、その結果シャーロック・ホームズが存在する虚構の世界に入り込んでしまうという設定がまず良い。また、ワトスンの一人称で語られるこの物語の中で、ワトスン自体の虚構性が他の登場人物から指弾され、一体自分が読んでいる話がどのレベルで虚構なのか、不思議と分からなくなってくる構成も素敵。その中で、ボーア戦争の正当性やアイルランド人蔑視、日本から見たイギリスの社会に対する憧れと軽蔑などの価値観が、次々とそのよりどころを失い、回転し、横滑りしてゆく。いつもいつもこの手の自己言及的で、虚構が次々と展開してゆく小説を読んでいて思うのだが、このような構成こそ「事実」というものの無根拠、無批判での正当性を疑い、考える努力なしにある価値観を受け入れ、他の価値観を否定してゆくという行為の危うさを、まざまざと示してくれている。奥泉光の「ノヴァーリスの引用」や久間十義の「聖マリア・らぷそでぃ」などがその典型例だが、この小説にも同じ雰囲気を感じた。漱石の「ホームズ」としての推理がことごとくはずれてゆくのが、むしろ引用元のホームズの推理を揶揄しているようでなんだか楽しい。