小沼丹「懐中時計」



友人が妻を亡くした話に呆然とするうちに自身が妻を亡くしてしまうエピソードを、勝手に居着いた猫の話の中に淡々と織り交ぜて描いた「黒と白の猫」、同じ人物を主人公として、一時期飼っていた犬が農家にもらわれていった話「タロオ」等、私小説的な日常雑記のような小説数編と、全くの創作だがやはり淡々とした日常雑記風の物語を集めた短編集。

創元推理文庫で読んだ小説がとても素晴らしかったのが心に残っていて、先日渋谷の本屋で何か読むものは無いかとうろついていたときに急に思い出し、検索して出てきたものを買って読んでみた。これが、やはりとても素晴らしい。どのような人なのかも知らないのだが、どうやら「白樺派」と呼ばれる人々の末裔らしく、師匠は井伏鱒二とのこと。そう考えるとどうあってもつまらなそうだが、これが不思議と面白い。冒頭に書いたエピソードはどうやら自分の体験したことらしいのだが、全編にわたりなにか愛する人や友人を亡くした雰囲気が漂う。実際簡単に人が死に、主人公はそれを淡々と受け止める。作中で20年前のこととして語られるエピソードの中心となる人物は、今や音信も無く生死も分からない。しかし、その思い出が人の形をとって突然立ちのぼる。なにか、この淡々と人の生死や時間の移り変わりを受け止める姿勢に、とても救われるものを感じてしまい不思議でたまらない。しかし、おそらく人はどうやっても生きては死に、またその存在は鮮烈でもあるが同時に忘れもしてゆく。その無理のない当たり前のあり方を、文章という基本的には大げさな媒体で、ここまで丁寧に、かつ優しく表現していることに共感するのだろうと思う。こんな作家を今までほとんど読んでいなかったなんて。また生きる楽しみが増えた。しかし、表題作となっている「懐中時計」という作品のみ大げさでわざとらしく、全く楽しめなかったのはなかなか面白かった。