チャールズ・シェフィールド「マッカンドルー航宙記」

昨日書いた本の前編。作者はもっと続ける気もあったらしいが、この二冊分のエピソードの続きを書く前に残念ながら亡くなってしまったらしい。これは、多少幼児的なマッカンドルー博士がとんでもない推進機構を発明して、教授を盲目的に愛する女性宇宙飛行士と様々な場所に訪れ始める頃のエピソード。


まあ、帯には「ハードSF」とか「スペースオペラ」とか書いてあるが、実際の所理屈っぽくもないし、壮大でもなく、つまらないことで人々がいがみ合い争うのだが、ある時点でそれにも勝る危機が起こってみんな忘れてしまったり、えいやと誰かが力づくで解決してしまったりと、極めて人間的なエピソードが続く。ただ一ついわゆるSFっぽいなあと思わせる「真空の色彩」などというエピソードもあるが、これはこれで古典的にアイディアが古く、安心して読むことが出来る。この人、やっぱり物語の作り方が本当に上手だなあ。本人はどのような気分で書いているのかは分からないが、おそらく楽しければ良いという気分が強いのではないか。そうやって読むと、むしろSFっていう舞台装置をかなり意識的に使っているというか、その仕組みを物語の中に逆に取り込んでしまっているというか、なにかそんな気がしてくる。よく分からないけど。関係ないが、僕が「ハードSF」という言葉に違和感を持つのは、これが僕のアメリカ人のSF好きの友人に全く通じなかったから。著者が解説の中で使っているのだけれど、本当は違う表現じゃないのかな。そもそも、「ハードSF」とか「ソフトSF」って日本語なのではないかな。このような意味の全く感じられない分類が好きな人って、多そうだからなあ。自分の読んでいる物語がそのどちらに分類されると言うことが、物語を読むことのどのあたりに関係するのか、僕には全く分からないのだが。