塩野七生「ローマ人の物語 悪名高き皇帝たち 一、二、三、四」

ローマ人の物語 (17) 悪名高き皇帝たち(1) (新潮文庫)

ローマ人の物語 (17) 悪名高き皇帝たち(1) (新潮文庫)

さて、アウグストゥスパクス・ロマーナも終わりをつげ、いよいよローマ帝政も定着期に入るのかと思いきや、予想を裏切ってなかなか微妙な制度的展開を見せる。この「悪名高き皇帝たち」では、アウグストゥスにつづくティベリウス、カリグラ、クラウディウス、ネロの四皇帝の即位から死に至るまでが、結構おもしろおかしく語られる。

パクス・ロマーナの時代は、平和な時代と言うだけあって読んでいてあんまり面白くない。いわゆる「ローマ帝政」の基礎となる外交戦略や徴税システムがどのように形成されたかということが非常に重要であることも含めて、淡々と説明的な雰囲気があった。それがこの「悪名高き」皇帝の時代になると、あまり優秀でも切れも無い皇帝たちが、どうやってアウグストゥスが作り上げたシステムを維持し、また維持することに失敗したかということが語られ、非常に面白い。中でも、平均して皇帝一人あたり210ページほどの割り当てがある中で、一番少ない130ページ程度しか割り当てられていないカリグラは最高。やることがいちいち間抜けでかつ大げさ、信長のようなバロック感漂うとても素敵なキャラクターである。またネロもなかなか楽しめた。まだ若いのにどんどん肥満になってしまったり、音楽や芸術を愛するあまり自分で歌のコンクールに出場してしまったりと、とても読ませる。

さて、とりあえずここまで読んできた感想を。これはおそらく塩野がそのように読ませようとして書いているからだろうが、やはり皇帝制というものが、非常にシステマティックに成立していることにまず驚いた。これは、塩野の言う「多重のチェック機構」が存在するということだが、まず皇帝は元老院と軍隊から認められなくてはならず、失政もしくは人気をとることに失敗した場合は、必ず殺されるか自殺に追い込まれる。しかも、読めば読むほどローマ帝国の政治を司ると言うことは超人的な作業である。そのため、だれがやってもあまりうまくいかず、どんどん殺され使い捨てにされる。しかし、このような「書かれた物語」に(あまりはっきりとは)書かれていないことは、では権力の主体はどこにあったのかということだ。塩野の書き方だと、ある種の選別された元老院と軍隊の一部にそれは存在し、また同様にローマとその周辺諸国にある程度あまねく存在すると読める。しかし、おそらくこれは良くできた作り話にすぎない。根拠は無いが、あまりにもこれはきれい事すぎる。むしろ、ローマ社会の中に起こっているであろう民族闘争と差別、迫害の構造の中に、権力の姿が立ち現れてくるはずだが、そのような記述は一切見られない。これと関連して、だんだん明らかになって来たのは、塩野のぬぐいがたい差別的な態度である。特に、ユダヤ民族に対する描き方は、歴史が個別の事例を明らかにしてゆくことが非常に難しい分野だと言うことを考えた上でも、非常に偏っているとしか言いようがない。小説なのだからおもしろおかしくても良いではないかという気もするが、このような描き方は面白くない。また、新潮社がこのような単語を許すのかとびっくりするような表現も一カ所見られた。これは、ことばに対する乱雑な態度を表してしまっている。さて、いろいろ書きはしたが、続きが気になるのも確か。ゆっくりpiojoが読み終わるのを待つとしよう。しかし、最近さすがに本読む時間がとれないなあ。