塩野七生「ローマ人の物語 ユリウス・カエサル ルビコン以後 上・中・下」

ローマ人の物語 (11) ユリウス・カエサル ルビコン以後(上) (新潮文庫)

ローマ人の物語 (11) ユリウス・カエサル ルビコン以後(上) (新潮文庫)

さて、ルビコン川がどうやら古代ローマの国境だと分かったところで、いよいよカエサルルビコン川をわたり軍勢を率いてポンペイウスと対決する。この「ルビコン以後」三冊では、カエサルが独裁者としての地位を築いたと思ったら殺され、その後継者であるオクタヴィアヌスアントニウスクレオパトラの軍隊を鎮圧するまでが描かれる。

最近色々ばたばたでなかなか本を読む時間がとれず、それにしては「物語」の先が気になるのでえらくいらついた数日間でした。本読むために会社辞めたのに、読書する時間がそれでもとれないなんて発狂しそうだよ。それはさておき。

ルビコン以前」を読んでいるときからなんとなく二つの事柄が頭をめぐっている。一つはカエサルという人の生き方について。結局この人、若いときにローマを追放されて諸国をうろうろしたあげく、ガリア戦役ではずっと闘いっぱなしで、終わったと思ったら今度は内乱に突入(これは自ら招いたものでもあるが)。そして内乱が終結して数年で暗殺されてしまう。なんというか、ずいぶんワーカホリックというか、忙しい人生ですね。ほんとうに人生を楽しんだのであろうか。しかも、ガリア戦役はローマから見れば分からず屋のガリア人に道理と分を示す、理屈のある戦争だけど、ガリア人から見たら植民地支配をもくろむローマ帝国の虐殺者が大暴れした、大変迷惑な戦争では無かったか。このあたりの評価、もしくは二面性のとらえ方が、数千年後の侵略戦争議論にも大きく影響を与えているような気がする。もう一つが、塩野七生の物語の描き方。僕もロムレスの物語など、神話時代のローマやギリシャの物語はある程度読んではいるので、塩野のあまりに精緻で生き生きとした、事細かに物事が記される描写には本当にびっくりした。しかも、地図や図面を用いた描写は非常に巧みで、いつもより二倍は時間をかけて読んでいると思う。しかし、一つ引っかかるのが、カエサルの英雄化の度が過ぎるところである。要は、カエサルを持ち上げすぎで気持ちが悪い。カエサルの物語しか読んではいないのでなんとも言えないのだが、この英雄化の傾向はもしかしたら塩野の一般的な叙述の傾向かもしれないとも感じている。ただ、あくまで小説として読めば大変面白い。トリッキーなのは、これが「歴史」の叙述であるという部分だ。まあ、あと読んでいない巻が既刊で14冊あるので、おいおいどのように展開してゆくのか、読んでみて考えたい。