奥泉光「鳥類学者のファンタジア」

鳥類学者のファンタジア

鳥類学者のファンタジア

第二次世界大戦中に失踪した天才ピアニスト霧子を祖母に持つジャズピアニストの池永希梨子は、ライブ中に「柱の陰に誰かがいる」という奇妙な感覚に襲われる。その人影を追い求めるうちに霧子の思い出の品へたどり着いたと思ったら、突然自分が第二次世界大戦中のドイツの湖畔の館にいることに気づく。そこには霧子や怪しい音楽的宗教集団の教祖やいんちき霊媒師やケプラーとなのる男などが暮らし、戦争の騒々しさと穏やかな田舎町の生活が同居していた。物語はクリスマスのコンサートに向けて加速して行き、突然音楽的な打ち上げ花火のように暴発する。

2001年に読んだ本の中で、最も印象に残った本と言えばこれ。物語は不思議なSFじみているが、相変わらずの饒舌さや物語の枠を脱構築してゆく構成、そして常に自分自身へと言及してゆく不思議なかたりが相まって、読み始めた瞬間から一体何が起こったのか覚えていないほど深く深く物語の世界に引きづりこまれ、ある種の音楽的な興奮とともに勢いよく読み終わってしまい、大変残念な気分だったのを覚えている。物語の中には「フィボナッチ数列」や「ロンギヌスの石」など、オカルトじみたペダンティックな単語が顔を出すが、僕はあんまりその辺りは記憶に残らなかった。むしろ、その勢いの良いことばや、「魔笛」の登場人物の名を冠した「パパゲーノ」という猫や、あくまでオヤジ的な希梨子(作中ではフォギーと自称する)の性格や、また、その物語の世界をあらためて現実と力説することなく、物語なのだから良いではないかというような、物語のあり方に対するいわば開き直った作者の姿勢がとても印象深かった。例えばフォギーが寝ている間に、今までフォギーの一人称で語られていたはずの地の文が、「フォギーが寝ている間に、この館の周りを解説しよう」などと話し出す。この開き直りが楽しい。しかししかし、本作はやはり音楽の小説なのだ。そのクライマックスに向けて盛り上がることばたちと花火のような音の描写は、あまりに鮮烈で他に例を見ない。周りの音楽好きの人には例外なく好評だった。

いろんな本を読む間に、寝る前に少しずつ再読していたのだが、読み終わってしまってなんだか残念。こんな本、そうそう出会えるものではない。