久生十蘭「湖畔・ハムレット 久生十蘭作品集」

湖畔・ハムレット 久生十蘭作品集 (講談社文芸文庫)

湖畔・ハムレット 久生十蘭作品集 (講談社文芸文庫)

1902年に生まれ1957年に亡くなった「小説の魔術師」久生十蘭の作品集が講談社文芸文庫の新刊に並んでいる。思わず出版年を確かめたら今年の8月。この時代に久生十蘭を出版しようとする人がいるということにしみじみと感動し、1250円という文庫とは思えない値段におののきながらも購入する。

久生十蘭という人は、今で言うエンターテイメント系の作家で、「新青年」という雑誌の常連だったらしい。文章はさすがに古くさく、時代がかった感じはするのだが、なれてしまうと最近の作家より遙かに面白い。柔らかい谷崎潤一郎というか。この人の小説で初めて読んだ物は、おそらく今回収録されている「母子像」という作品で、戦後の混乱期の中で母親に捨てられた少年が母親を捜す内に警察に保護され、警官の拳銃を強奪しようとして撃ち殺される話なのだが、思ったより以前のような感動は感じなかった。やはり感じ方が鈍くなったかとも思うが、今読むと狙いすぎというか、技巧的にすぎるきらいがある。それよりも面白かったのが「ハムレット」と「湖畔」という話で、前者は記憶を失った老人の記憶を失うに至る経緯を描き、後者は顔面に醜い傷を持つ男が妻を殺すまでの顛末を書く。


この作者には破滅指向というか、アンチ・ハッピーエンドを好む傾向があり、「残酷作家」のように語られることがある。しかし、確かに物語は破滅的な物が多いのだが、文章の構成はまるで永井荷風のように軽く、しかも文章は流麗なのだが素直に流れていかない肌触りと味がある。他には、睾丸が肥大化した殿様が切開手術を受けるまでの経緯を淡々と描いた「玉取物語」、別れた妻を追ううちに奥地の港町で汚職に巻き込まれて切腹する御家人の話「奥の海」、フィリピンに壺を探しに行った薩摩藩の男を描く「呂宋の壺」を収録。どれもとても良い。