山本音也「ひとは化けもん われも化けもん」

ひとは化けもん われも化けもん

ひとは化けもん われも化けもん

井原西鶴が俳句の世界から足を踏み出し、というか踏み外し、「好色一代男」その他の文章を書くことに至った過程を暗澹と描く。


とにかく暗い。極貧にあえぐ井原西鶴は、色物の雑文を書けと迫られるがいまいち理由のはっきりしない理由で描こうとしない。しかし俳句では全然成功できず、医者にゆく金もなく妻と二人の子どもは病死する。残った一人の子どもは目が見えず、お手伝いの亀婆さんは妻が死んだ後に転がり込んできた女性にいわれのない迫害を続けついには追い出してしまう。西鶴に対して、雑文を書けという圧力は高まるが、西鶴のプライドと自分が属する俳句の派閥への気遣いのため、事態が最悪化するまで書こうとしない。


なぜこんな話を読んだかというと、表紙を畠中恵氏の「しゃばけ」等名作のシリーズも手がけている柴田ゆう氏が描いているからで、表紙が素敵ならば内容も素敵なのではないかと思ったからなのだが、これは失敗であった。とにかく、全編にわたりルサンチマンの物語なのである。延々と世を恨み、他人をねたみ、自分を哀れみ、しかも結局は才能があり実力もある男の独り言という感じで、なんとなく最近日経の朝刊で連載していた野村監督の「私の履歴書」を思い起こさせる。いったい、作者は何を伝えたかったのか。後書きに曰く、自分と西鶴が重なり合い、西鶴の人物造形が自然に出来たとあるが、これでよいのか?なんでこんな不気味な繰り言を読んでいるのか、よくわからなくなる。文体と全体の構成、特に物語の終わらせ方は非常に技巧的かつ美しく感心した。