奥泉光「モダールな事象 桑潟幸一助教授のスタイリッシュな生活」

面白くない本を読んで面白くないと書くの我ながら趣味が悪い。でも、この記述は単に読んだ本を記録するためのものなのだから、非難の記述という非生産性自体は、その上位に位置する記録としての生産性(これも極めてあやしいが)に回収されていると考えて良い。しかし、やはり面白い本が読みたい。本当に読みたい。でもそれは年に数回しか許されない出来事で、例えば奥泉光の新刊を読むときなのである。

しがない短大の助教授桑潟幸一のもとに、ある無名な作家の未発表原稿が持ち込まれる。解説を書き雑誌に掲載したところ評判は良く、他の出版社がその原稿を本にしたところベストセラーになる。しかし、未発表原稿を持ち込んだ編集者は失踪、その原稿の発掘時の事情や原稿の信憑性も含め混沌としてくる中で、桑潟は幻想的で恐怖に満ちた経験を繰り返すようになる。一方でベストセラーになった本のライターとして参加した北川アキは、これは「鳥類学者のファンタジア」の主人公フォギーのジャズ仲間なのだが、分かれた旦那の諸橋倫敦と一緒に失踪した担当者や原稿にまつわる謎を解き明かそうと、なんとも頼りない素人元夫婦探偵業を楽しみ始める。

「鳥類学者」の続編というか、登場人物に重なりがあり、オカルト趣味の団体なども共通している。ただ物語の構成、特に桑潟助教授の部分はむしろ「浪漫的な行軍の記録」的な、陰鬱とした繰り返しの多い幻想的な記述に彩られ、一方で北川の部分はむしろ馬鹿馬鹿しいまでに明るく、祝祭的ですらある。この辺の構成は「葦と百合」のようでもあるが、桑潟の部分の「バナールな現象」的なイメージが全体をもう少しわかりにくくしている。相変わらず文章はサービス精神が旺盛というか、自らの語りの中に物語をどんどん回収してしまう、饒舌な階層性があり、これが読む人全ての心を捉えるかというと決してそうとは思えない。しかし、奥泉の世界にすっかりまきこまれてしまった僕には、これはとても幸せな体験だった。特に、主人公と言うよりは狂言回し的な位置づけをされた助教授の描写がなかなかで、とことん社会不適応的で内省的で駄目な人間なのだが、それが如何に大学の世界、それも文学研究の世界と深く結びついているか、また大学の世界のとことんまでのばかばかしさを表しているかということが、不必要とも思われる情熱でねちねちと描かれているところが笑えない。全体としては、決して彼の作品としては傑作と呼べるものではないと思うが、それでも極めて上質な文章の世界にすっかり巻き込まれ、爽快だった。