青来有一「聖水」

聖水

聖水

先祖の墓所から掘り出した十字架に異常な信仰心を持つようになった叔父が盆に故郷である浦上に帰ってきて起こす騒動「ジェロニモの十字架」、20年前の少年の日に干潟で起こった友だちとその父親の騒動「泥海の兄弟」、信長を主人公にした映画のエキストラで阿蘇の麓に合宿することになった青年とその友人の奇妙な交流「信長の守護神」、癌で死を待つばかりの父と新興宗教じみた聖水信仰にこだわる母と教祖じみた男とそれを見つめる息子を描く「聖水」の4編を収録。

今読むべき作家はだれかと問われたとき、僕は青来有一を是非挙げたい。この人は本当に奇妙な作家である。収録された全ての作品は、多かれ少なかれ宗教的な体験をその骨格に持つ。「ジェロニモの十字架」では、放火を行いホームレスとして生きる叔父が、声帯と声を失った主人公に突然宗教者のような深みと慈しみを持って話しかける。「泥海の兄弟」では母にしなれ父親も失おうとする「ユタカ」の目に、遠浅の海岸から「ミタマ」が次々と生み出され空を上ってゆくのが映る。「信長の守護神」では錯乱した「コロク」の耳には彼方からの指令が届き、「聖水」においては主人公の父が創業したスーパーが裏切りキリシタンのウノスケの声が聞こえるという佐我里という男に受け継がれようとする。全ての作品で、宗教、または宗教的なる感覚に対して主人公は畏れを抱きつつもなにか深いところで理解してしまい、またその理解を畏れ、揺れ動く。信じるということに対する純粋な悦びが、単純には描かれずに、相反する冷たくどす黒い何かと常に対峙を迫られるという状況として執拗に描かれてゆく。文章は派手すぎず、堅実で丹念に推敲を重ねられたと思われる重さがある。最新作の「眼球の毛」で見られる馬鹿馬鹿しいくらいのエロティックな表現も、そう思って読むと所々で顔を出していて面白い。全編に舞台である長崎の街や風物の手触りや香りが感じられてとても楽しい。決して楽しい話ではなく、むしろ暗くて陰鬱な話ばかりなのだが、たまたま非常に不安定で鬱々としていた自分の心が一編一編読むに連れゆったりと解放されていった。不思議な作家である。