目取間俊「平和通りと名付けられた街を歩いて」

平和通りと名付けられた街を歩いて―目取真俊初期短編集

平和通りと名付けられた街を歩いて―目取真俊初期短編集

表題作を始め、1983年から87年にかけての初期の短編を集めたもの。パイン工場で働く台湾人の女性を取り巻く僕と兄と父の話(魚群記)、想像妊娠をした妻と私と小鳥の雛の話、(雛)、蜘蛛にとりつかれた奇妙な人々の話(蜘蛛)、ぼけた祖母が皇太子の車に糞便を塗りつけるのを悲しく見つめる男の子の話(平和通りと名付けられた街を歩いて)、知恵遅れの青年と彼を思い出す僕とMの話(マーの見た空)が収録されている。

最後の二編以外はあまり引っかかるものが無かったが、最後の二編は重い。「平和通り」は、ぼけてゆく一人の老人と彼女を見つめる人々のまなざしの中に、次々と沖縄戦と死んでいったものの記憶が浮かび上がり、それが献血大会への皇太子の参加というクライマックスに向けて急激に混沌とした暴力性を呼び覚ます。しかも、話はクライマックスを迎えた後もうわごとの様に続き、これでもかと追い打ちをかける。また「マー」も良い。この作者はあまり現実と非現実をポストモダン的に混ぜ合わせたり、非現実の世界に物語を回収させてしまうことを潔しとしていない感があるが、この話だけは虐げられたもの、言葉を持たないものの叫びの中に物語を渦巻かせ、そこにある現実を吹き飛ばそうとする。非常に力強く、神話的ですらある。しかし、暗い本だった。表紙が真っ暗闇の中で目頭を押さえた老人の顔なだけで普通の人は手に取らないと思うのだが、出版社は影書房という聞いたことも無い会社で、挟まれた宣伝のビラはコピーとおぼしきもので、石原都知事の「三国人」発言を弾劾する高橋哲哉徐京植らが編集した本が紹介されている。これでは売れないだろうなあ。凄く良い作家なのだが。作者の後書きに、「世の移り変わりは当たり前のことだが、その中で消えてほしくないものが消え、消え失せてほしいものが存続している。忌々しいかぎりだ。」とあるのが面白かった。