なだいなだ「くるい きちがい考」

くるいきちがい考 (ちくま文庫)

くるいきちがい考 (ちくま文庫)

精神科医なだいなだ氏が、編集者F氏との対話という形式をとりながら「クルッテイル」という状況について論じたもの。

基本的にはどんどん「クルッテイル」という状況が相対化されてゆく。対話形式のため議論が常に横滑りしながら進んでゆく感じで、構築的にまとめられていないが、大意としてはおそらく「クルッテイル」という事は「クルッテイル」人と「クルッテイナイ」人を線引きしているわけだが、その線引き自体は極めて恣意的であり、精神科医というのはその線引きのされ方自体に批判的に対応してゆく職能である、すなわち「異常」を「異常」と判断してしまう状況そのものに対処するべきである、ということである。この辺はあまり実感を持ってわからないのだが、その「異常」を「異常」と認定する「常識」というシステムに対する批判はうなずける。後書きに氏は言う。『ある人間をクルッテイルとするのは世の中の、いわゆる常識というものであり、その常識というものを問わねば、常識によるクルッタものに対する差別をなくすことは不可能である。ぼくは、そこで、クルイ、キチガイという言葉をつくった常識そのものを疑ってみようと思ったのである。』全編このような、推進力があり落ち着いた文体でとても気持ちがよい。解説は上野千鶴子氏で、これがまた見事。なだ氏の本文よりわかりやすい。『考えてみたら、フェミニズムだってもともと「わたしはわたし、あんたのおしつけるふつうのものさしで、『女らしさ』の中におしこめないでよ」という、「ちがいを認める」要求だったはずだ。「ちがい」に「寛容」な社会、それこそがわたしたちの理想でもあったのだ。』主張には両手をあげて賛成、文章までなだいなだ的で楽しい。