南條竹則「虚空の花」

虚空の花

虚空の花

本郷の裏路地の深閑とした旗亭の二階で、二人の仏文学者が、亭主に向かいヴィリエ・ド・リラダンの「未来のイブ」の粗筋と解釈を延々と語る、それだけのはなし。

跋がなかなか趣がある。全文を引用すると、

『「さかしらの議論にあらず、さかしらの批判にあらず、思慕也、祈願也。」と齋藤磯雄は若き日の著『リラダン』の後記に記した。筆者がここに送る拙い対話編も、一個の捧げ物に他ならない。筆まかせに書き散らした妄語邪説は真摯なる研究者の顰蹙を買いもしようが、本書に触れた幾人かの人がヴィリエ・ド・リラダン伯爵の傑作を紐解き、ハダリーの清き面輪に見えんことを願う。』

本文の内容は、ここに書き表されている通りである。亭主に向かって説明するという形式をとりながら、基本的に章ごとに語り手が交代しながら、対話的に「未来のイブ」が語られる。「未来のイブ」は読んだことが無いので、ある意味この小説の良い読者だったと思う。小説としての良さはよくわからないが、饒舌で博識な二人の会話が、リラダン伯爵の浮世離れした着想と本郷西片の静かな雰囲気と相まり、なにか幻想的な雰囲気を醸し出していて大変楽しい。とにかく、著者の「未来のイブ」に対する熱い思いが、多少ひねくれた方法ではあるが充分に打ち出されていて、本好きとしてはそれだけでも気持ちがよい。文章は相変わらずクラシックな雰囲気を持ちながら通りが良く見事、非常に「文学的」に構成された論文を読んでいるようでもあった。