南條竹則「遊仙譜」

遊仙譜

遊仙譜

中国の仙界に遊ぶ酒豪の仙人、何玉英は地上の男に昔分かれた男の面影を見いだし恋いこがれ、彼を仙人にすべく酒を断って術を練る修行に入る。一方、玉英の弟分である呂洞賓は仙界でのいたずらが過ぎ西王母の怒りを買い、その埋め合わせのため西方ギリシャの地にベレニケの髪の毛を取りに行く羽目になる。いっかな術が完成せず命の危機を迎えてしまう玉英を、何のはずみか洞賓が助け、恋の成就の手助けまでしてしまうという話。

神話小説である。バブルもはじけオウムも解体し、神戸の震災から一年もたった1996年に神話小説を書く人間がいるというのも驚きだが、それが南伸坊の挿絵付で本にまでなってしまい、読んでみたらこれがまた面白いというのも、人間の営みの奇跡というか無駄なることの美しさというか。今回は珍しく中国の神様のみならずギリシャ神話も取り入れてはいるが、相変わらずののらりくらりとした文体で、神々こそが人間らしく、くだらなくも情けない心の浮き沈みを情緒過多に書き連ね、話が終わってみたら結局ハッピーなのかどうなのかよくわからないけれども、明日も馬鹿馬鹿しく生きるぞとうっかり気合いが入ってしまうような良い作品でした。文中より、ヘクトールとアンティオペーの争いを女に化けた呂洞賓(ロドーピス)が見物する場面はこんな感じである。

『「待たれよ!」と声高く叫びました。「こはヘクトール殿、トロイ一の勇者たりしおんみが、今宵は狼藉者の頭目とはーー」「こはアンティオペー、誇り高きアマゾネスの女王が、今は雇われ警備員になりさがりしかーー」「スゴイ、あのひとたち、時代劇みたい!」とロドーピス。「文語調ってかっこ良いわ!」「下手な文語は、聞く方がくたびれるわよ」とオンレパー。』(以上、本文より引用)

この文章のどこが良いのかと言われると困るが、やっぱりスゴイ。こんな文章を書ける人が現存するのか。