高橋哲哉「靖国問題」

靖国問題 (ちくま新書)

靖国問題 (ちくま新書)

近現代西欧哲学の研究家による靖国問題の哲学的解体と批判。

「哲学的」とは、よく考えて議論の筋道を整理し、正しいと思われることを発見してゆく作業、というくらいの意味で、いわゆる「哲学的」な専門用語が使われるわけでもなく、日常言語で靖国問題が淡々と解きほぐされてゆく。ここでは靖国問題は、「感情の問題」、「歴史認識の問題」、「宗教の問題」、「文化の問題」、そして「国立追悼施設の問題」の五つの範囲に議論が整理され、その一つ一つに精緻な検討が加えられる。ビールの飲み過ぎのためか最近とみに考えることが苦手になってきたが。それでもぼんやりと理解できるのは以下のような論旨である。靖国神社は、戦死した人を英雄視し、「彼らの後に続け」と人々に強制する、戦争動員のシステム(これは日本に独特のものではなく歴史的・地理的に広く見られる)と直接的に結びついて使用されていたものである。また、ここには天皇を象徴的頂点とする宗教的な性格がぬぐいがたく見られる。小泉首相の「戦没者にお参りすることが宗教的活動と言われればそれまでだが、靖国神社に参拝することが憲法違反だとは思わない。宗教的活動だからいいとか悪いとかいうことではない。」という没論理的な言動は、三権分立に対する挑戦とも言うべきもので、戦争責任認識すら確立していない状況をよく表している。自分の感想としては、これでは周辺諸国が警戒するのも無理もなく、むしろ自然な事態だと思われる。結局のところ、「戦争で死んだ人たちに感謝」を強制するような施設は、そもそもどこかおかしい。論理的には彼ら(彼女らは基本的に排除されている)に感謝するよりかは、彼ら/彼女らを戦争に追いやった人々やシステムを憎むべきだし、そもそも自分が誰に感謝し誰を愛するかは、自分が決めることで他人にとやかく言われることではない。「教育と国家」といい「前夜」といい、最近の高橋の活動には本当に圧倒される。しかし彼がここまでがんばらなくてはいけない理由は、とりもなおさず現在の社会の状況が極めて危機的な状況にあると言うことの反映でもある。いずれにせよ、気が重くなる。