姜尚中「在日ふたつの「祖国」への思い」

在日 ふたつの「祖国」への思い (講談社+α新書)

在日 ふたつの「祖国」への思い (講談社+α新書)

胸が痛くなる本であった。基本的には日本敗戦前夜から2003年までの朝鮮半島と日本国内の政治史を、わかりやすく書いた本で、加えて未来の半島の姿について、具体的な方策とその諸与条件が語られる。内容についてはとてもここで書くことの出来るようなものではない。もしこの文章を見ている人があれば、是非買って読んで下さい。とても忘れられそうもない記述の一つに、こんなものがあった。姜尚中は、金大中前大統領が金でノーベル平和賞を買ったと口にする日本の政治家に対し、以下の用に述べる。

「しかし、わたしの主張はこうだ。カネで平和を買って何が悪いのだ。正義なき平和と、平和なき正義と、どちらがいいのか。歴史が教えているのは、平和がデモクラシーや正義を生み出すということである。そして平和にまさる価値などどこにもないのだ。人命が失われることこそ、最大の悲劇なのだから。」

全く関係ないが、中学・高校で古代史から歴史を教えることは果たして良いのだろうか。たいてい近現代史にたどり着く前に終わってしまう。なぜ1世紀ごとに20世紀から後戻りする形で教えてはいけないのだろうか。南北朝以前なんてむしろ「国語」で教えれば良い話ではないか。近現代史を見つめることこそ、近代以降の国民国家にまつわる悲劇、それはとりもなおさず国民国家間での争いと国民(=民族)国家内部での差別の歴史に目を向けることになると思うのだが。大学に入った当初、高校でまじめに勉強できなかった東アジア近現代史と数学を勉強しようと試み、数学は完璧に挫折したが、近現代史からは多くのことを学び、考え方を揺るがされたことを思い出す。その経験が、ある種の居心地の悪さや不安な感覚、そして目を背けたくなるようなことを考えることが、むしろ正常なことなのだという確信を抱かせた。いったい過去を謝ることのどこが「自虐的」なのか。むしろそれは勇気ある行為であり、尊敬と信頼を勝ち取るもっとも近道であるはずなのに。