奥泉光「石の来歴」

石の来歴 (文春文庫)

石の来歴 (文春文庫)

「石の来歴」、「三つ目の鯰」の2編収録。

「石の来歴」:敗戦直前の南方でのトラウマテッィクな経験をかかえる男の、その後の生活に置ける繁栄と転落、そして魂の救済へと至る話。

「三つ目の鯰」:山形に実家を持つ東京の大学生が、父の死と埋葬、そして「家」のあり方に関わる騒動に巻き込まれながら、落ちこぼれ牧師である叔父の姿を透して、ある種の境地に至る話。

二つの話とも戦争とキリスト教を巡る話である。後者については、「石」ではほとんど言及されないが、扉の警句を見れば明らかである。「石」においては大学紛争も一つの躓きの石として提示される。おそらく、この頃の奥泉は血縁や歴史、宗教のような、自身に身体化されたものを掘り起こすことと、その素直なあり方が他者との関わりの中でいかに悲劇的なものになりうるか、ということを繰り返し書き起こしている。率直にいえば、「石」での主人公の追いつめられ方はあまりにも劇的にすぎ、ふと我に返ると「物語」の世界から遠く隔たった自分を感じてしまうのだが、「鯰」はその全編にみなぎるどことなく力の抜けた雰囲気に知らずに絡みとられ、気がつくと一字一句が荘厳なる響きを持って鳴り響いているように感じた。

いずれにせよ奥泉は近代文学の世界を現代に伝える、水村美苗と並んでおそらく最高の書き手である。その全ての言葉が、精緻に選択、構成され、しかも力強さを存分に持つ。「石」は芥川賞受賞作だが、最近の受賞作でこれに並ぶのは青来有一氏と玄月氏くらいではないか。しかも「石」より「鯰」のほうが良い小説の気がするなあ。