サンティアーゴ・パハーレス:螺旋

螺旋

螺旋

マドリッドで出版社に勤める編集者のダビッドは、ある日社長から「螺旋」というSFシリーズが大人気となった有名作家を見つけてくれと頼まれる。その作家は完全なる覆面作家で、定期的に原稿が送りつけられてきたのだが、最近になってまったく連絡が無く、社長としては窮地に陥ってしまったのである。ダビッドが山奥で人捜しにとりかかっているころ、その社長の秘書はある日ひったくりに遭い、ハンドバッグと読書中の「螺旋」を取られてしまう。ひったくりの犯人は薬物中毒の青年で、どうにか薬物から抜け出しつつあるのだが、ふと読み出した「螺旋」にとりつかれるように引き込まれてゆくことになる。


本を愛する人が本のために書いた小説とは、おそらくこのようなものなのではないかと思わせられる一冊でした。本書は、一方で覆面作家を捜すという推理小説的な筋立てを持つのですが、他方麻薬中毒の青年が自分を取り戻してゆく物語でもあります。その二つのエピソードをまさに「螺旋」のようにつないでゆくのが、表題でもあり作中作でもある「螺旋」という物語なのです。


始めの方は、物語はもっぱらダビッドという編集者の視点から語られます。彼が妻をヴァカンスとごまかしてスペインの山奥まで連れて行き、そこで喜劇としか思えない人捜しの騒動を繰り広げる、そのようなエピソードが明るく描かれて物語は進むのですが、なにかぎくしゃくとした雰囲気が漂います。例えばその村の多くの人々が珍しい身体的特徴を持っていたり、隣人の妻はALSの末期患者であったり、主人公と妻の関係も極めて微妙なものであったり。そこで突然、視点は麻薬中毒の青年、フランに移り変わります。


彼の視点から語られる物語は、一転して悲惨というか、陰惨というか、とにかく暗く陰鬱としたものです。そこに、一点の光をともすのが「螺旋」という物語なのです。悲劇的な光景を目にして昔裏切った友人のもとに身を寄せたフランは、麻薬への誘惑を断ち切れないものの、「螺旋」をきっかけにして人間関係を徐々に取り戻し、また徐々に救われてゆきます。


本書のとても素敵なところは、始めは成功者のように見えたダビッドがだんだんと自分を失ってゆくのに対して、人生の敗残者のように描かれるフランが救われる、それだけの話に終わらないところにあります。本書の至る所にちりばめられたエピソードは、このまったく異なる境遇の二人を細く長い糸でつなぎ合わせてゆき、そして多くの人間を巻き込んだ、群像劇とも言える救いの物語に昇華させてゆきます。しかも、その救いはすべて人間がものを書くこと、または伝えることから発せられているというところが、本好きにはたまらない至福の時間を与えてくれるのです。


アルトゥール・ペレス・レベルテやパブロ・デ・サンティスの作品たち、そして本書などを読んでいると、スペイン語圏にはとても豊かな文学の広がりがあることが、間違いなく感じられます。どうも中南米またはスペイン文学というと、マルケス的な魔術的な世界を思い浮かべてしまうのですが、少なくとも現代の作品についてはどうやらそうでも無いらしい。物語に対する愛情と、またそれを衒学的ではありつつも極めて鋭い現実感覚と共に打ち出すこれらの作品を見ると、これは気合いを入れて読んでみよう、という気がふつふつとわいてきました。このような素晴らしい著作を翻訳してくれた訳者の木村榮一氏に、感謝です。