アルトゥール・ペレス・レベルテ:フランドルの呪画

フランドルの呪画 (集英社文庫)

フランドルの呪画 (集英社文庫)

絵画修復を職業とする主人公の女性は、修復中の15世紀オスタンブール公国の最後の君主とその友人がチェスをしている場面を描いた「チェスの勝負」と呼ばれる作品に、「誰が騎士を殺したのか?」というメッセージが隠されていることを、X線写真より発見する。このメッセージは作品の値段をつり上げる可能性があるとふんだ画商やバッハ好きの絵のオーナーの親類など、様々なひとが思惑を巡らす中で、彼女は幼なじみのゲイの古美術商セシルと、決して勝負に勝とうとしないおかしなチェスの名手ムニョスとともに、この絵に秘められた秘密を解こうと試みるのだが、そのうちに彼女の周辺で奇妙な出来事が頻発するようになる。


こんな作品と作家をいままでまったく知らなかったのは、大きな喜びにあふれた驚きでした。恵比寿の眼科医に定期検診に行った帰り、駅ビルの有隣堂の大胆なディスプレイの中に、「コレ、まだ読んでないでしょ!」と帯に書かれた集英社文庫の一冊がこれでした。その周囲の本たちは確かに名作揃いだったので、すくなくともつまらないということは無いだろうと思い手に取ったのですが、これがつまらないどころではなく、まれに見る傑作と言って良い作品だったのは、思いもかけぬ収穫でした。


本書で語られる物語は、主人公の生きる現代の古美術商にまつわる世界と、「チェスの勝負」の舞台となった15世紀の複雑な権力闘争の世界によって構成されます。なによりもまずほれぼれしたのは、この15世紀のオスタンブール公国という、フランスとブルゴーニュの間でもてあそばれた小国での人々の描写の見事さです。まったく知識もなければ地理的な感覚もない世界についての記述なのに、必要以上にペダンティックかつ豊かすぎる想像力によって、まるで自分がその時代に存在するかのように感じさせてしまう作者の物語への執着心が、この状況をまったく異質なものと感じさせません。


加えて、本書の主題であるチェスの展開の読みとそれが象徴的に示す具体的な出来事に対するメッセージは、これもまた無理がありすぎるような気がするのだけれど、著者の執拗かつ力強い描写は、そんなことを一切感じさせないものがあります。しかも、そのチェスの勝負が15世紀と現在をアクロバティックに接続させてゆく、この妙手としか呼びようのない手腕には、ある種戦慄を覚えざるを得ないものがあります。


僕が本書を読んでいてまず思い出したのが、竹本健治氏の「ゲーム三部作」なのだけれども、読み進める家にむしろウンベルト・エーコの「薔薇の名前」や中井英夫の「虚無への供物」、小栗虫太郎の「黒死舘殺人事件」に近い雰囲気を感じるようになりました。なんといったって、本書の魅力はその描写の冗長さにあるように思います。一つのことがらを恬淡と描けば良いところを、度重なる視点の移動と作為的に導入された時間軸の混乱によって、描写がぶあつく積み上げられてゆく。それはまるで、本書の中で何度も言及される画家がキャンバスに絵の具を積み上げてゆくような、なぞめいていて、なおかつ秘儀的な世界を彷彿とさせます。しかし、一冊の本を4日もかけて読んだのは、ほんとうに久しぶりでした。そもそもページ数は多い上に行間も小さく、総文字数は普通の文庫2冊分にはなると思うのですが、けっして読み飛ばすことのできない、密実さが本書にはあふれているのです。これぞ読書、という経験でした。