長野まゆみ:あめふらし

あめふらし (文春文庫)

あめふらし (文春文庫)

得体の知れないおとこ橘河に「タマシイ」を捕まえられてしまった主人公の市村は、しぶしぶ橘河のよろづ相談所「ウヅマキ商會」を手伝う羽目になるのだが、そこにはぶっきらぼうな番頭仲村がいて、橘河と不思議な会話をしながら、なぜか市村には厳しくあたる。そんな環境で、40年前の時代の少年に傘をわたしに行ったり、貯水槽に逃げ込んだ足をもった蛇を捕まえに行ったりするはなし。

長野まゆみさんの小説を読んだのはいつぶりだろうか。おそらく最後に読んだのは高校生の時なので、もう10年、下手をすると15年ぶりぐらいくらいになるかもしれません。相変わらず美少年・美青年たちがいちゃいちゃしつづけるという、長野氏らしい世界が構築されていて、とても懐かしく読ませていただきました。一時期、こういう世界にどっぷり使っていたことを思い出します。でもその当時はやはり対象が幾分古くて、渋澤達彦とか、稲垣足穂だったわけですが。

そんなわけでとても久しぶりに読んだのですが、ちょっとびっくりしました。とても文章が洗練されているので、以前の記憶では、あくまで男の子とたちの乳繰り会いが主で、どちらかというと文章自体の美しさや流れのよさは、その舞台を演出するための、いわば従の部分であり、そのいささか演出過多のありように気恥ずかしくなってしまった覚えがありますが、本作ではまるで違う。地の文と台詞の入り乱れかた、言葉づかいの柔らかさ、ちりばめられた骨董品のようなことばたちの美しさ、耽美的と言えば耽美的ですが、そのいやらしさをまったく感じさせない、とにかく美しいとしかいいようのない世界には、とても驚かされました。そういえばわたしの大好きな津原泰水氏も少女小説から入ったわけですが、そのような進化を、いつのまに遂げていたのか。

物語はと言うと、バケモノたちのお話しです。主人公はどうやら一度死にかけたところを、橘河に「タマシイ」を捕まえられ行き帰り、番頭の仲村は、人を知らずに乗っ取ってしまうよくわからない存在、そして「ウヅマキ商會」の橘河は、「タマシイ」を捕まえるという良くわからない特技を持ちます。この人たちがいろいろな無理難題を解決してゆくわけだけれども、一貫してノスタルジックな風景への憧憬が素直に表現されているところが、似たようなあれとかこれなどの作品と、本作が一線を画すところだと思います。また、とにかく文章の質が高い。やっぱり長野まゆみ氏、いいなあ。