天城一「宿命は待つことができる 天城一傑作集3」
- 作者: 天城一,日下三蔵
- 出版社/メーカー: 日本評論社
- 発売日: 2006/08/01
- メディア: 単行本
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粗筋を語ればそのあまりの泥臭さというか、あか抜け無さになんとも恥ずかしくなってしまうのだが、しかし本作品集は今年の間違いなく最もすばらしい推理小説の一つとして燦然と輝くことは間違いない(極めて限られた範囲しか照らさないだろうが)。文章の切れ、言葉遣い、リズムの良さ、何をとっても芸術的というしかない技の数々を、まさに息をつく暇もあたえず作者は繰り出してくる。もう、めちゃくちゃかっこよいのだ。表題作の冒頭からして、ヘラクレイトスの言葉で始まるのにはまいった。構成もおそらくギリシャ悲劇の構成を取っているのだろうか、序章はプロロゴス、次がパロドス、第一エペイソディオン、アゴーン、第二エペイソディオン、エクソドスと続き、なにやらさっぱりわからないがもうたまらなく素晴らしい。加えて、天城一氏といえばその無駄な部分は言うまでもなく、必要な部分すらそぎ落とす、執拗なまでの文章の簡潔さに特徴があるが、本作でもその傾向は遺憾なく発揮されている。例えばこんな感じ。「テーブルを囲んで四人の男と一人の女が。食事の後の茶。男二人は八十を過ぎた老人、他の二人は中年、女は七十すぎ。老人の一人は屋敷の主、ワブカ商事会長、頭は白くなりやや太りぎみ。(春 南方のローマンス)」この、簡潔にして直裁、現在形を多用する言葉が次々と重ねられ、極めてスピード感のあるリズムと緊張感を作り出し、作品にえもいわれぬ緊迫感とテンションの高さを生み出している。凡百の文章では決して読むことのできない、これぞ文章、これぞ小説というたぐいまれな実例である。全く話題にならなかったようにも思うのだが、不思議でたまらない。小説の良さを文章にもとめるのは、やはり極めて偏った嗜好なのだろうか。こんなに素晴らしいのになあ。