伊坂幸太郎「魔王」

魔王

魔王

他人の口から自分の思ったことをしゃべらせる能力がある人が、ある政治家にその能力を使おうとする「魔王」、その弟と彼女の淡々とした生活を描く「呼吸」の二編からなる中編集。

これはちょっと、いかんのではないだろうか。この違和感は説明が難しい。でも、とりあえずまとめてみなくては。まず、「魔王」については「ファシズム」と人間のあり方が通奏低音のように物語の中を響き続けるのだが、あんまり深みがない。伊坂氏のクリシェを多用する響きと切れの良い文体が、むしろ何となくファシズム的な、思考停止的な心地よさを生み出している皮肉が、物語を構造から転倒させてしまっている気がする。読み終えての感想は、なんだか気持ちが悪い。物語の終わり方云々ではなく、この舞台と小道具と構成の使い方が、なにか主題であるべき物語と見事にかちあってしまっている。僕は伊坂氏の文章は、その教訓の無さがよいと思っていたのに。なにか物足りないものを感じてしまったのか。でも、これは方向が違う気がしてならない。その延長線上にあるのが「呼吸」。これは、いったいどうしてしまったのか。言葉のすべりのよさや、結論をださない軽さは、もう僕らは充分経験したし、その虚しさだって充分な気がするのだが。それではない気がする。これはちょっと違うよ。