ベン・アーロノヴィッチ:女王陛下の魔術師

女王陛下の魔術師 (ハヤカワ文庫FT ロンドン警視庁特殊犯罪課 1)

女王陛下の魔術師 (ハヤカワ文庫FT ロンドン警視庁特殊犯罪課 1)

聡明なるも何らかの事情で大学に進学できずロンドン警察に就職した主人公の青年ピーターは、2年間の見習い期間満了後、念願の犯罪捜査部では無く、事件処理情報ユニット、すなわち事務仕事を一手に引き受ける部署に配属されることをほのめかされる。同期のレスリーはそんな彼を慰めるものの、彼女自身は犯罪捜査部に配属されることが内定しているとあって説得力がまるでない。と思った矢先、深夜の警備中にどう考えても幽霊としか思えない実体に出会ったピーターが、その真偽を確かめるため同じ場所をうろついていると怪しい人物に遭遇、その男に話かけられてうっかり「幽霊を探している」と言ってしまったピーターは、直後に自分がその男、ナイティンゲール氏を上司とする特殊犯罪課に配属され、「魔術師の弟子」的なポジションにありながら、危険な幽霊たちを相手に職務をまっとうしてゆくことになる。


大倉崇裕氏の「丑三つ時から夜明けまで」や天野頌子氏の「警視庁幽霊係」シリーズなど、警察と幽霊を掛け合わせた推理小説はいくつか思い当たり、そしてどのどれもがとても面白いのですが、だからかどうか、論理的結合性はありませんが本書もとても面白い。でも、大倉氏や天野氏の小説における主人公が、超自然的な現象に対しあまり親和性がない、というか極めて迷惑で大変な思いをするのに比べ、本書の主人公は状況を素直に受け入れ、なおかつ合理的思考を継続するところが心強い。それにとどまらず幽霊に罠をかけ、土地の神々との交渉を死にそうになりながらもなんとかこなし、あまつさえ犯罪の構造を見事に描き出すのですから、とても頼りがいがあります。


物語は、ある晩にまったく関係が無いと思われる男性二人の、一人が棒状のなにかでもう一人の首をふっとばすという、極めて陰惨な事件から幕を開けます。その後二人の男性の身元を調べるピーターは、テムズ川の女神と男神の争いに巻き込まれたり、雑種のテリアと同居したり、生肉を食する謎のメイドのモリーにおびえたりと、なんだか狂騒的で非現実的なできごとに翻弄され続けてゆくことになります。これらの難局を刑事課に配属されたレスリーとともに乗り越えてゆくピーターを、著者はあくまで冷静かつ暖かく、また独白調の文体の中で自己言及的な(しかも多くの場合極めて自虐的な)台詞をこれでもかと詰め込んでゆく。この筆致の軽やかな豊かさが、本書の一番の魅力だと思えます。


どこか刑事としては抜けているところがあるように思えるピーターは、実のところ極めて俊敏な洞察力と思考力、そして切れある皮肉に満ちたユーモアの持ち主なのです。このピーターが、ミステリアスでとらえどころの無いナイティンゲール、極めて優秀な刑事としてのレスリー、そしてもののはずみで行動を幾度もともにすることとなる川の精霊ビヴァリーとともに繰り広げる騒動の数々を描き出す本書は、ある意味ウッドハウスの「ジーブス」シリーズのような救いようのない馬鹿馬鹿しさに満ちあふれているのですが、それがシュールな地平にではなく論理の構造へと回収されてゆくとろが、これまたとても心地よい。


主人公の人種的アイデンティティや登場人物たちの設定、またおそらくわかる人にはわかるであろう(そしてわからない僕にはさっぱりわからない)ロンドンの街並みも、この極めて高度なギャグコメディーをさらなる高み(というものがなにか、またはどこか、ということはわかりませんが)に引き上げているように思えました。続編が3ヶ月後に出版されるとのことですが、これもまた素晴らしい。待ち遠しくて原書で読みたくもありますが、このウィットによって栄養過多気味な文章を読み砕くのは、おそらくちょっと難しいだろうなあ。